イギリス流のストレスの少ない働き方 ~ロンドン五輪に携わった建築家・山嵜一也さんに聞く~【2】

HowTo

イギリス流のストレスの少ない働き方 ~ロンドン五輪に携わった建築家・山嵜一也さんに聞く~【2】
ロンドン五輪のメーン会場となったオリンピック・スタジアム

 日本国内の大学院を修了し(建築を専攻)、10カ月間日本の設計事務所で働いた後、2001年に渡英した建築家の山嵜一也さん。以降12年間、イギリスの建築事務所で働き、12年に開催したロンドン五輪の競技場の設計などにも携わりました。イギリスでの生活や働き方、五輪へかかわった経験などをまとめた書籍『イギリス人の、割り切ってシンプルな働き方』(16年5月、KADOKAWA発行)も話題です。
 
 3回に分けたインタビューの第2回は、ロンドン五輪の話やストレスを少なくする働き方などについての話です。海外で働きたいと考えている人、働き方や仕事の進め方に悩んでいる人などのヒントになるはずです。

※第3回は2016年8月30日に掲載予定
※山嵜一也さんのプロフィールは2ページ目
※第1回の記事はこちら

新人がやるような仕事に「さすがにそれはないだろう……」

 ――ロンドン五輪に携わったのはいつですか?

 2年ほど働いた3社目は、2003年に経営難で解雇され、4社目であるアライズ・アンド・モリソン・アーキテクツに拾ってもらいました。会社の規模がそれまでとは大きく異なる大手設計事務所で、建築模型製作部門でよければ採用するという条件でした。

 しかし、建築業界において模型製作は新人がやるような仕事。その時、イギリスに渡って3年ぐらい経っていましたから「さすがにそれはないだろう……」と思いつつも、建築の知識や実務英語もまだ身についていなかったので、お世話になることにしました。

 そこで私は、ロンドン五輪招致のための模型を作りました。その後、ロンドンは12年開催の五輪招致に成功し、私自身も最終的に五輪競技場の現場監理に携わるわけで、ロンドン五輪と私の不思議な縁はその時に始まっていました。

 建築模型製作という新人がやるような仕事に不満を持ちつつ入社した4社目でしたが、今振り返るとあの模型場での時期は、様々な人に出会えて本当に貴重でした。模型製作部門は建築士から指示を受けて作業を進めます。優しくて指示が的確な人もいれば、失礼な人もいました。ここから、他人に依頼するときの態度や言葉遣いの大切さを学びました。その後、設計現場監理で作業員と働く際、その経験が大いに役立ちました。

担当競技場の観客席は鉄パイプの骨組みに布をかぶせただけ

 ――どのくらい模型作りを担当したのですか?

 1年半くらい担当しました。その後、06年頃から建築士として業務に携わるようになり、美術館の改修や集合住宅などを手がけました。中でも、欧州最大級のハブ駅「キングス・クロス・セント・パンクラス地下鉄駅」は設計現場監理として3年くらい携わり、印象に残る仕事となりました。

 地下鉄駅が完成した10年頃、ロンドン五輪のレガシー(マスタープラン)に携わることになりました。レガシーとは、12年の五輪開催が終わったら競技場や周辺地域をどのように有効活用するのかを考えることです。今でこそ、日本では「(残すべき)遺産」と訳されていますが、イギリスにいた当時「legacy」という単語を辞書で引いても、いまいちピンときませんでした。

 レガシーとは、ロンドン五輪前から五輪のメーン競技場のあるメーンパークは30年、50年にはこういう風景になると描く大きなビジョンのことです。そのため、競技場は建てるだけでなく、五輪終了後に解体、縮小、改修、移設も視野に入れておく必要がありました。

 例えば、水泳の競泳場は20年の東京五輪のメーン会場となる新国立競技場の当初案をデザインした女性建築家、故ザハ・ハディド氏がデザインを担当しました。この五輪競泳場は仮設観客席でした。なぜなら、五輪大会後は一般市民用のプールにするため、大会期間中の観客席は仮設でいいという割り切った考え方からです。五輪終了後に生まれ変わった競泳場は曲線の美しい市民プールとして使用され、現在ではザハ氏の代表作の一つになっています。

 私が設計監理を担当したグリニッジ馬術&近代五種競技場の観客席も、鉄パイプの骨組みに布をかぶせただけという簡素な造りでした。五輪とパラリンピックが開催される1カ月半のためだけに作るのであれば、簡素な設計でいいという考え方に基づいています。しかも、建設に時間がかからないので、五輪イヤーである12年に入ってから建設を始めて、大会を迎えました。

あわせて読みたい